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余暇と愚痴

 「余暇」とは、「仕事から解放されて自由に使える時間」とか「仕事の合間のひま」を意味しますが、私自身も仕事からの解放元年になった今年度は、自由に使える時間が多くなりました。反面、時間をもてあましたり、無為に過ごしてしまう時間も多くなった一年であったように思います。

 そうした自由に使える時間のスタートした途端に、町内会の役員という役割が巡ってきました。順番制という事もあり、まあ、一年間の我慢という程度に構えていたのですが、結果としては、抽選による役割分担として、会長という役割を引き当ててしまいました。

宝くじに当たったのであれば、天にものぼる気持ちだったのでしょうが、いささかの落胆の気持ちを持ってのスタートとなりました。

しかし、余暇の有効利用という意味では、そうしたボランテイアとしての仕事も多少は有効であったように思いますし、ジュニアのバドミントンクラブの運営についても、多少の余裕ができたように思います。

 話は戻りますが、町内会の役員というボランテイアについての経験は、人間関係の難しさや個々の人間性を違いをあらためて知る機会にもなりました。

我が町内は13の班から成り立っている関係上、13人の班長さんが役員として存在することになります。市からの依頼や行事関係の打ち合わせなどのため、月一回の会議を持ちましたが、全員が揃うということはありませんでした。

もちろん、多くの人が仕事を持っている関係上、仕方のないのことなのですが、きまって出席のままならない人がいたのは残念な事でした。一年間という限られた期間ですから、重要な会議などにおいては、無理にでもスケジュールを合わせるような状況を作ることは常識なのですが、そうした配慮をも欠くことに対しては、いささかの不信感を抱かざるを得ませんでした。

そうした人に限って、自分の果たすべき役割まで、他人任せにしてしまうような状況については、あきれるばかりです。結局は、その人の人間性のなせるわざなのかもしれません。

時代の変化が、人間の精神までむしばんだとは思いたくありませんが、他人に対する配慮を欠き、自分勝手なわがままが許されてしまう時代になってきたことは確かなようです。

 そんなこんなの一年間でしたが、あと数日で無事放免となります。そうした事での時間の消費が少なくなる来年度は、あらためて、どのように余暇を過ごすかを考え直す必要があります。

宝くじに当たり、世界一周の旅をすることを夢見ながら、あらためて、新年度のスタートを切りたいと思います。