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青空

 高村光太郎の「智恵子抄」には、「東京には空がない」という智恵子の嘆きが綴られていますが、当時の東京が、スモッグが問題視されている現在の中国の大都市などに比べれば、そんなにひどいものだったとは思われませんが、彼女の故郷の福島の阿多多羅山の澄み切った青空に比べれば、彼女の見た東京の空は、そんな状態だったのでしょう。

 先日の草津の本白根山の突然の噴火には驚かされましたが、大昔、恐竜の滅亡は、巨大な隕石が地球に衝突し、長い間に渡り、暗黒の闇が地球を覆った結果だと言われています。杞憂かもしれませんが、そうした日が再び訪れ、人類を滅ぼすようなことになるかもしれませんが、そうした巨大なスケール比べれば、今回の噴火は不幸中の幸いと言っても良いかもしれません。

 天気の良い冬の日には、自分が住むこの地域からも遠くに富士山を望むことができます。

その富士山も江戸時代までは、火山活動も活発だったようですから、何時いかなる時に襲いかかるかもしれない噴火や地震などの天災については、もちろんそれを防御することは困難でしょうが、できる限りの備えをする必要がありそうです。

しかし、時代の変化は急激に早まっています。当事者にとっては一生記憶にとどまる神戸の震災や東北を襲った震災さえも、遠隔地の自分たちにおいては、記憶には残ってはいるものの、徐々に脳裡の片隅に追いやられてしまっているような状態は、人間の愚かさの成せるわざなのか、あるいは時の経過の成せるわざなのでしょうか。

 それに反して、この年齢になると、子供の頃にはあまり意識もしなかった風景や人々、そして様々な事件や事故が強く蘇ることがあります。これは単に年を重ねた結果なのでしょうか。

情報に振り回される現代、今の子どもたちにも、寒さの中に広がる澄み切った青空を眺め、その風景を心の中に刻んでおいてほしいものです。必ずその風景が幼かった時の宝物として蘇ることを期待して。