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大晦日

 今日は一年のどん詰まり。しかし、大晦日のせわしなさをあまり感じないのは、年齢のせいなのでしょうか、あるいは社会環境の変化のなせる業なのでしょうか。

 若かりし頃なのですが、田舎では、近くの雑木林に生えた松の枝を切り取り、それにしめ縄を飾るだけの簡単なものでしたが、どの家でも飾りつけをしたものでした。

今や、田舎における環境の変化が大きいことは確かなのですが、それにも増して、生活様式の変化が著しいように思います。

昔の龍ケ崎市の自然は、松林が中心でした。松林の味覚である初茸狩りは、小学校時代の秋の学校行事でしたが、その頃に比べると、龍ケ崎市の松林は全滅と言ってよいぐらいです。

 バブルの頃は、それこそ景気の良さを象徴するように豪華な門松が競い合うように並んでいたりしたものですが、そんな様子もすっかり無くなってしまったのは、寂しい限りです。

門松の絵をプリントした紙を門に貼って、贅沢を慎もうというような運動もそうした現象に影響を与えたのかもしれません。

とにかく、いろいろなことが重なりあった結果なのでしょうが、正月の風物の多くが変化したことは確かです。

 昨年も同じようなことを書いたと思いますが、年が改まることについての心の変化(喜びや感動)が、めっきり少なくなってしまいました。これには、社会環境の変化であるというような理由付けは出来ないでしょう。簡単に言えば、「触れたくない」、「避けたい」という、老化からの逃避を願う人間心理のなせる業なのでしょうが、残念ながら、ますますこの傾向だけは、確実に強まっています。