· 

学校スポーツの指導者たち

 中学や高校の部活動の指導者不足は、今に始まったことではないようですが、自分が教員になった頃に比べると、現在はとりわけ顕著なようです。以前は、教員としての立場に立てば、部活動を担当するのは当然のことであり、そうしたことができるからこそ教員としての道を選ぶという者も多かったように思います。校長も先輩たちもそれを当然としていましたから、「私にはできません」などという弁明はタブーだったわけです。

 また、自分が経験した部活動であれば理想ですが、必ずしもそうはいかない場合もありましたが、決して文句など言わず、「3年我慢すれば一人前の指導者になれる」と言う先輩たちに励まされながら、青春の一時期を過ごすのが当たり前だったように思い出します。

 現在は教員になるのも大変な時代ですから、採用にあたっては、学力偏重に重きをおかざるを得ないのは当然なのかもしれませんが、そのひずみが、部活動指導者不足につながっているのかもしれません。

引率はしても、読書をしながら一日をスタンドで過ごす顧問たちの姿も結構見かけるのではないでしょうか。それでも、顧問としてついてくれることを善しとしなければならない皮肉な現実もあるわけです。また、部活動指導を職務として命令することができないような制度的な仕組みにも問題があるようにも思われます。今でこそ、微々たる額ですが、クラブ指導手当なるものがつきますが、休日の練習につき合っても代休は取れないし、事故があれば責任を問われるかもしれない現実は、今の若い教員にとっては、好き好んで取り組むべきことではないのかもしれません。

 オリンピックの招致には成功しましたが、このオリンピックを成功させるためにも、学校スポーツが基本の日本のスポーツ構造を継続するのか、あるいは、抜本的に改革するのか、大げさになりますが、文科省だけではなく国全体が考えなければならない問題であると思われます。

しかし、学習指導は教育の根幹ですが、決して、学習指導だけが教育の全てではないということを忘れてはなりません。それは誰もが知るところでしょうが・・・。

 

 閑話休題、教師を志す若き皆さんが、部活動に飢えた生徒たちの熱きリーダーとして立ち上がることに期待したいと思います。

いずれは届く結婚式の招待状の多くが、クラスの優等生からではなく、部活動を共にした子どもたちからであることを・・・。

それは長い関わりから生まれる当然の結果なのかもしれませんが、学習指導だけでは得ることのできない教師としての冥利なのです。