· 

無残なオリンピック

 賛否両論だったコロナ禍のオリンピックもすでに過去のものとなってしまいました。

政治的判断ということで実施された今回のオリンピックは、個々の競技結果よりもコロナ禍のオリンピックとして、その名を後世に残すでしょう。

 スポーツと政治は切り離すべきだとはいっても、所詮、それはお題目に等しいかもしれません。結局は政治的判断に頼るしかない。それが現実といってもいいでしょう。

コロナ対策かオリンピックかの選択をIOCが独自にするようであればいいのでしょうが、商魂に満ち満ちたIOCでは中止にすることは無理なことでしょうから、結局は主催者が詰め腹を切らされた格好なのでしょう。

政府や東京都も中止にすれば、多額の負債を抱えた会社同様でしょうから、その負債を少しでも減らすためには、リスクを承知の上で開催して、多額のスポンサー料でまかなうというのが最善の策と考えたのではないでしょうか。

 ところで、あれほどまで期待されていたバドミントンについては、残念というよりも無残と言うべきでしょう。

写真は8月2日の茨城新聞の記事ですが『国際舞台で好成績を残し、選手が個々の考えを持つようになった。朴柱奉氏の影響力が低下したとの声もある。日本バドミントン界は新たな転換点を迎えた。』

新聞ではハッキリとは言ってはいませんが、『なかなか監督の物言いも通じなくなった』ということなのでしょうか。

 試合後のインタビューに、全てを物語るように『すみません』の一言だけを残して去っていく桃田選手の姿は、世代交代の変化すら感じずにはいられませんでした。

女子ダブルスの福島・廣田ペアについては、廣田選手の怪我が負けの要因のように伝えられていますが、一回戦からの福島選手のミスの多さが後々まで試合結果に影響していたことは明白です。

 くしくも、桃田・福島の二人は、3年前の合宿時の早朝のドーピング検査時に福島選手が部屋にいないことで騒ぎになり、捜したら桃田選手の部屋にいたということが判明し、メデイアの伝えることとなりましたが、その二人が、同時に無残な結果に終わったことについては、偶然というよりも当然だったのかもしれなません。

しかし、現在のようなバドミントン人気を盛り上げた原動力になったのも彼らですから、傲り高ぶりを捨て、初心に戻っての復活を目指してほしいものです。

 勝負の世界は『結果よければすべてよし』であって、負けた理由については、言い訳にしか聞こえてこないのは、勝負の世界の厳しいところです。

マスコミもオリンピック前には、盛んに女子ダブルスや桃田選手の番組を組んでいましたが、これを境として、バドミントンの普及にまで影響が出てくるのが心配です。

ジュニアの人気クラブは、特に女子はバスケットボールです。今回のオリンピックでの活躍は、さらにその人気に拍車をかけるに違いありません。

 今回も多くのメダルを獲得した柔道やレスリングは、日本のお家芸とも言える種目ですが、柔道も一時は低迷の時代もありました。外国人特有の腕力を生かし、ポイント稼いで逃げ切るという柔道に対応出来ずに破れるといったことが多くありました。

しかし、今回はレスリングや柔道のルール変更が、日本選手のスタイルに合ったことが、メダル獲得の大きな要因になったことも確かでしょう。

 各種目のルール変更の中心にあるのは、テレビ放送の影響力だと言えます。決められた枠の中でしか放送が出来ないテレビなどにとっては、試合時間は大きな問題なわけです。なるべく、放送時間におさまることが理想なわけですから、主催側もそれを意識したルール変更が必要というわけです。

 今の子どもたちは、まったくわからないでしょうが、自分の経験で言えば、1982年に羽打ちサービスの禁止がありました。今はサービスではコルク部分しか打てませんが、羽部分を打つことで、シャトル変化させる方法が流行しました。私も懸命に練習したことを覚えています。極端ですが、サービスだけで試合が終わってしまうというような状況から、ほどなく禁止となりました。

また、サービス時の空振りは、1987以前はフォルトではありませんでした。

 2006年からはラリーポイント制が導入されるとともに、ダブルスのセカンドサービスもなくなりました。セッテイングも2点差がつくと終了という形に変わりました。これもまた、メデイアのための変更と言ってもいいでしょう。

最近では、サービス時のシャトルの高さが、1.15m以上はフォルトとなり(競技規則 第9条 第1項 (6)サーバーのラケットで打たれる瞬間にシャトル全体が必ずコート面から1.15m以下でなければならない。)となり、背の低い人はラケットを立てて打ってもよいルールになりました。ルールをうまく生かすことも戦術ということになるかもしれません。

また、卓球同様に11点5ゲーム制も検討されていると聞きますから、意外と早目の変更があるかもしれません。

 それにしても、新型コロナウイルス問題に終わりはあるのでしょうか。無い物ねだりですが、一刻も早く、普段の生活が戻り、生き生きと活動する子どもたちの姿を見たいものです。