· 

世相

 世の中の状況を表すように鬱陶しい梅雨空は相変わらず続いています。

新型コロナウイルスの感染も収まる気配はありませんし、このどんよりした梅雨空を吹き飛ばすような明るいニュースはまったくありません。

こんな状況でなければ、今頃はオリンピック直前の喧騒の中にあるはずなのでしょうが、今なお、中止さえも懸念される雰囲気の中にあっては、一向にそうした盛り上がりは見えてきません。

 コロナウイルスワクチンの接種についても、船頭の舵取りがはっきりしないままですから、どうにもうまく進んでいるようには見えません。

最近では、地元の大学の運動部関係者100名近くが感染し、メデイアを賑わせました。一年近く前であれば大騒動であったはずなのですが、そんな雰囲気も消え失せてしまったのは、どうにでもなれといった諦めの結果なのでしょうか。

このクラスター発生源の当事者たちの対応にもあまり危機感は感じられません。多少の犠牲は出ても時間が過ぎてしまえばどうにかなるだろうという、決まりきった方程式のようにも思われます。結果としては、この方程式がうまく解ければ問題はないのですが、その解を求められなかった時の彼らの行動も容易に想像できます。どこよりも誰よりも深々とお辞儀をし、『難しい方程式を解けなくて申し訳ありませんでした』と言い訳して、はい終わりというのが、鯔のつまりでしょう。まさに型にはまった日本式行動様式と言ってもよいでしょう。そのうち、頭を下げる時間の長さで反省の度合いを測るような風潮さえも生み出されるかもしれません。もちろん、こうした形が世界的標準になるなどということは、全くありえないでしょうが。

 嫌になるほど繰り返された『自粛』という言葉についてですが、『自分から進んで行動を慎むこと』なのだという本来の意味も、この長い自粛期間の間に人々はその意味をも取り違えてしまったようです。逆に、自粛という言葉を口にする者たち自身の意識の低さも露呈してしまいました。

 オリンピックありきの状況の中で、なるべく危機感の鎮静化を図ろうとする意図が働いていますが、二兎を追い、無理強引に押し通し、結果としては最悪の状況を招くことだけは避けてほしいものです。

オリンピックが開催されるとして、観客を入れる、入れないも問題になっていますが、競技場の高みからの見物よりは、ゆったりとテレビ見学することが最高だと考えるのは、『自粛』という言葉の本当の意味を理解する者であると思うのですが、どうなのでしょうか。しかし、世の中、善人ばかりではありませんから、そんなわけには行かないでしょうし、立場の違いから、国民全てが善人である事を期待しているとは限りませんし、悪人である事を期待することもあるわけですから、とにかく人の世は住みにくいというというのが、結論でしょうか。