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2021年1月12日

 昨夜の天気予報では、関東地方も積雪の可能性があるとのことでしたが、見事に予報がはずれました。それはそれで嬉しいことです。

 2014年2月の大雪には泣かされました。あたり一面の雪の中、学校は休校、家も職場も雪かきにおおわらわの一日でした。(写真がその時の様子です)

雪国では、そうした状況が毎日のように繰り返されているわけですから、その苦労は堪え難いものであることは容易に想像できます。

この辺りは温暖な地域で、雪は滅多に降ることはありません。しかし、わずかな積雪があれば、混乱状態になることは確かですから、気象庁には申し訳ありませんが、予報が外れたことについては、大変ありがたいことなのです。

しかし、雪にはなりませんでしたが、冷えこみの厳しさには、いささか、自分の歳には堪え難いものでした。

防寒着を分厚く着込んで通勤する者が多い中、ショートパンツ姿の小学生の逞しさには驚きです。

 こうした冬の寒さは、あと数か月我慢すれば済むことなのですが、新型コロナウイルスについては、目処はつきそうにもありません。

科学万能主義の世の中、人類は予想もしないほどの深い落とし穴にハマってしまったのでしょうか。

おそらく、新型コロナウイルスという落とし穴から抜け出るには、一朝一夕とはいかないでしょうが、少しでも早く、長いトンネルの出口の明かりを見たいものです。

 ようやく一都三県に対して緊急事態宣言が発令されました。しかし、最初の緊急事態宣言では、休校はもちろん、多くの分野について、多くの制限が加えられ、国民の意識も緊張した状態であったように思いますが、今回は、非常に限定的であって、その効果については、自分もそうですが、懐疑的な人が多いようです。強い刺激を受けた後の味覚感覚がずれてしまったような感じです。

 最初の緊急事態宣言解除後の国の方向性は、「一挙両得」「一石二鳥」をねらったもだったように思います。

「二つの重要な要素があるから、一つだけを選ぶことはできない。だから、こうせざるを得ない」という立場だったのでしょう。

しかし、緊急時に「守るか」「攻めるか」の判断をしなければならなくなった時、両方を選ぶなどということができるでしょうか。その判断には強いリーダーの存在が重要でしょう。

リーダーの条件とはなんでしょう。経営に関するリーダー論は、ピーター・ドラッカーが数々の言葉を残していますが、それは経営に関するものとは限りません。

その数々の言葉を国リーダーたちに当てはめてみるのも面白いかもしれません。

 政治家のリーダーシップが問われる昨今、今回のコロナ禍において、各国のリーダーの本質が見えたようにも感じます。

日本においては、PCR検査やマスク問題などの政策が後手後手に回ったことなどで、先を見据えた政策ではなかったことが明らかになりました

日本のリーダーたちの特徴は、自分の考え方を自分の言葉で述べることが不得意なようです。

前にも述べたことがありますが、原稿棒読みの会見状況は、国民を納得させるためには不十分でした。

 最初の緊急事態宣言中の茨城県では、休校措置や授業措置に関して、感染者が少ない県北地方は条件を緩め、多い地域はそのままというメッセージを発しましたが、ネット上での強い反発にあって、すぐに撤回したことなどは、先を見ない、目先だけの対応に過ぎないことを露呈してしまいました。

 今回の緊急事態宣言は、学校の休校やクラブ活動の対応については、非常に曖昧なものになりました。学校は休校はしない。1ヶ月で沈静化させるというのが国の強い方向であるようですが、万が一にも多数の感染者が出た場合などの対応策や、詳しいデータなどはあまり表面には出してきませんでした。

今日のニュースでは、自粛要請に応じない場合の罰則を加える法律改正などが流れていますが、これについてもかなりのせめぎあいがありそうです。

 再び知名人の感染も伝えられてきました。バドミントン界では、桃田選手も感染者の一人になってしまいました。今日もラグビー界の感染者のニュースが流れています。

先日の大学選手権における観客数に対する批判も囁かれた中でのことですから、これまた主催者の感覚の甘さが問われるかも知れません。

スポーツ界も自粛状態から、徐々に以前の環境に戻ったと思っていた中での出来事ですから、その影響は大きいでしょう。

今回の宣言については、飲食店や開業時間だけに注目が注がれて、本来の感染に対する注意点がおろそかになってしまっているようです。

 ジュニアのクラブ活動も前回ほどの緊張感がないのは確かです。体温測定、手指の消毒、マスクの着用さえすれば、それでOKという感覚でしょうか。また、それ以外にはどうにも手の施しようがない、というのも本音なのです。

我がクラブも20日までは、活動自粛の方向です。

 願うことは、一刻も早く、子どもたちが、なんの制約もなく、のびのびと活動できる日が復活することを願うばかりです。