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苦しみの日々

 11月も終わり間近。例年ならば、いろいろな行事が目白押しの年末ですが、新型コロナの流行にさいなまれている今年は、すべてが自粛や中止の状況になってしまいました。

昨年の今頃を思えば、こんな状況になるとは夢にも思っていませんでしたが、現実には世界中が同様な厳しい状況に陥ってしまいました。

 ワクチン開発の状況にはわずかな光明が見えてきましたが、これで安心という状況にはありません。

いつになったら、こうした状況から脱出できるのでしょうか。まだまだ不安な日々を過ごさなければならないのは確かでしょう。

 今は、経済対策か感染防止対策かのシーソーゲームを繰り返す状況ですが、一歩間違えればどちらかが転げ落ちてしまう状態でもあるわけです。そうした時のダメージは予測出来ないものになるでしょう。

せめて、どちらか一方だけを選択するということは無理だとしても、その方策は十分に練った上での施策をしてほしいものです。

 国は、GO TO・・・キャンペーンを経済対策の目玉として打ち出しました。当初からその効果については賛否両論でしたが、現在の状況から判断する限りは、成功したというにはほど遠い状況でしょう。

こうした状況にあっても、簡単に取り下げ、新たな方策を考えるということをしないのは、威信が傷つくからとしか見えません。姑息な方策で一時しのぎをしても、状況がよくなるようには思われません。

 寝正月の意味は、「正月にどこにも出かけずに過ごすこと。病気などで寝たきりで正月を過ごすこと。」を意味します。一般的には、前者の意味で使われることが多いですが、もしかしたら、今回は、多くの人々が、後者の状況になる可能性も考えられます。

そうならないためには、各自の感染に対する十分な対策が必要なことは当然なのですが、一部の楽観的な人間が存在することについては、どうにもしようがありません。罰することを嫌う現代の風潮は、そうした人間たちをますます助長する傾向にあります。厳しい状況下にあっては、対処する方策も必要なのかもしれません。もちろん、自由を奪うような権力の行使は必要ありませんが、最低限の罰則は必要なのかも知れません。

 自分は、どこにも出かけず、初詣もしないで、家でのノンビリとした生活を楽しみたいと思っています。

今回に限っては、初詣をしなくてもバチがあたるということはないでしょうから。