· 

混迷

 毎日の感染者の増加数は、誰の目にも明らかに異常の様相を示しています。しかし、国の対策や説明は相変わらずですし、私たちもそうした状況が普通であるかのように感覚が鈍ってしまいました。

誰もがこうした状況からの脱出を待ち望んでいるのは確かなのですが、そうした方向が一向に見えてこないのは歯痒いばかりです。

 経済優先の方向性だけははっきりと見えてきました。国民も経済活動に重きを置いた政策を全否定しているわけではありませんが、一方の危機、感染増加への緊急の対策も望んでいるのです。

そうした対策も国がリーダーシップをとらずに、都道府県にその役割りを任せるようでは困ります。国には、国としての果たすべき約割があるはずです。もちろん、その責任も重大であることも確かですが、その重さに絶えかねて逃げ出すようでは困ります。

 私たちが望むことは、リーダーたちには原稿を棒読みすることなく、ハッキリとものを言うことです。

時には、間違いや方向のずれもあるでしょうが、それはそれで修正すれば良いこと。今の状況は、いたずらに時間を浪費しているだけのように見えます。

経済の崩壊は、国の存亡にも関わる問題です。その結果、多少の犠牲は致し方ないという方向にシフトアップしてしまったようですし、ただひたすらワクチン開発までの時間を稼いでいるといった状況に見えます。

 黒姫のブナ林をこよなく愛し、その復活に力をそそいだCWニコルさんが亡くなってまもなく四ヶ月、彼の生き方は波乱万丈といってもいいでしょう。そうした人生の中で見出した生き方、『素晴らしい森がよみがえるには、まず自然が見えること、感じることができる人が必要。しかし自然音痴の人が今増えているのが心配です。』

私たちの周りの自然を見ると、山林は荒れ放題、荒れた山林にはゴミの山。きれいに管理され四季の恵みを与えてくれた山林の面影は全くありません。しかし、地主も行政もその状況を憂えているようには思われません。経済効率だけが優先された結果、私たちが幼かった頃の山裾の湧水や用水路はコンクリートで固められてしまいました。

 人間は自然との共存なくしては生きることができないということを忘れ、経済万能と考えるようになってしまったのでしょうか。

自然との共存は、今すぐにでも考えなければならないのに、そうできないのは、知能ある人間の最大の弱点ではないでしょうか。

近代化とは、経済を発展させることが条件でしたが、今や、自然を破壊することとどちらが優先すべきか考え直さなければなりません。

レジ袋の有料化をその一歩と考える人もいるでしょうが、スタンドプレーにしか見えません。単に有料化しただけで、廃止したわけではありません。プラスチックゴミを完全になくすには、それこそ百年単位の時間が必要でしょうが、相変わらずですプラスチック製品は作られ続けています。

しかし、自然の変化はそれほど悠長ではありません。近い将来、人類は自然の反撃の前に立ち打ちできない状況になるかもしれません。

自然災害の多さは年を追って多くなり、その規模も大きくなっています。これもまた、自然を無視した人間に対する反撃かもしれません。

人類の存在も永遠ではないことは自明の理ですが、人類自身がその寿命を縮めるようなことに加担はしたくないものです。