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二人の自分

 辻仁成の「ピアニシモ」を読み終えました。この作品は、彼の処女作です。これもまた、書棚に眠っていたものの再読です。

 主人公は中学3年性、転校を繰り返し、学校に行っても友達はいないし、いじめにあうだけの孤独な少年。家族もばらばら。しかし、僕には、自分自身の心の中に作り出したもう一人の自分「ヒカル」がいる。僕と「ヒカル」は一心胴体のようだけれど、たまには心の中の「ヒカル」と喧嘩をする。しかし、「ヒカル」がいればちっとも寂しくない。駅のプラットホームで遭遇した自殺者、伝言ダイアルで知り合ったが顔を見たことのない女友達の「サキ」、「透」は、さまざまな体験を繰り返す中で、やがて自分の殻を打ち打ち破り、「ヒカル」と決別し、自分の弱さを消し去り、現実を受け入れ、果しない大人の世界へと旅立っていく少年の物語。

思春期独特の心理状態を描いた作品。自分「透」の存在だったら、現実とどう向き合って生きるか。我が子が「透」の損剤だったら、親としてどう見守るか。」

 作品が発表された1990年代は、バブル崩壊や尾崎豊の死、固定電話と公衆電話が当たり前で、携帯電話の存在など皆無の時代。「宇宙戦艦ヤマト」や「エヴァンゲリオン」など、後々のアニメ作品に大きな影響を与えた時代でもあった。

 最終章、

 「気がついたら、うちの前に立っていた。 どういう道をたどって帰ってきたのか、まったく記憶になかった。他に行く所がなかったから、とりあえず戻ってきたのかもしれない。我が家などとは口がさけても言える場所ではない。屋根があって、ベッドが置いてあるだけの、キャンプ場みたいなものだった。僕は鍵がかかっていないドアを開け、中に入った。 母がいた。親戚さえもいなくなった静かなうちの中にポツンととり残されて、誰かの帰りを待っているようだった。僕か、父だろうが、今の母の意識では、その判別は難しいようだ。母親は僕の気配に気付き、ゆっくり首を回す。やつれた白い肌を、庭の外灯の青い光が照らす。母は視線をはずしてしばらく何かを考えている。口がもぐもぐ何かを語ろうとするが、言葉にはならない。でも僕には、『おかえり。』と聞こえたような気がした。 母はしばらくして、再び顔をひじの上にのせて、目を閉じる。小さな位牌が飾ってある、父の机の前で、背中を丸めて朝を待っているようだ。朝など、このうちには来そうもないのに。 丸まった背中に僕は落ちていた父のカーデイガンをそっとかける。僕がかえでのような手をしていた頃から、父が大好きで毎日のように着ていたイギリス製のやつだった。ふかふかした、懐かしい暖かさは、今でもなくなっていなかった。僕の中にある父の数少ない思い出の中にも、はっきりこのグレーのカーデイガンは残っている。 小さくなった母の背中に、大きくなりつつある僕の手で、軽くさわる。今度ははっきりと、ありがとう、と小さく母はつぶやいた。 僕は、久しぶりに自分の手のひらを見て少し驚いた。傷だらけのその手は、ちょっと前の女の子のような手ではもうなかった。細かい皺のある大きな手に成長しようとしていた。いつからこんな風に変わってきたのだろう。丸みを帯びていた手が少し角張って、ごつごつし始めていた。泥と血が、雨でにじんだ手のひら。ちょっとの間でそれは随分たくましくなっているような気もする。 昔。少学校に入った頃、僕が当時通っていた、もう名前さえ思い出せないけど雨の街の少学校の校庭で、一度だけ父の腕にぶらさがったことがあった。桜が校庭のあちこちで咲き乱れていて、風が吹くとぼたゆきのような花びらが宙を舞った。あの校庭で、白い歯を光らせて笑いながら、僕を片腕で持ち上げてくれた。たくましくて頼りがいのある父親。僕はその時、父を尊敬していたと思う。今思うと不思議だけれど、大きくてゆとりがあって、包み込んでくれる父が大好きだった。そういえば、あの時も父はこのグレーのカーデイガンを着ていたような気がする。 僕は、今さらなんでこんなことを思いだしているのか、不思議でしょうがなかった。 おいおい、それはないだろ、と、ヒカルが言ってきそうな気がした。ヒカル、ヒカル、ヒカル。そうだ、あいつももう死んだんだ。もう二度と僕の前に現れることはないだろう。僕はあいつなしで強くならなくちゃいけない。これからは、何があってもあいつを呼び出すことはできない。自分一人で、たった一人で、成長していかなくてはいけないのだ。 降り続いていた雨が、いつの間にかやんでいた。記録的な長さの梅雨のせいで、家の中はすっかりしけていた。窓のサッシの所が少し黒くかびている。屋根からつたってしたたる、雨の滴が音を立てて、庭の水たまりに落ちている。隣のマンションの屋根の間にかすかに見える空がしらみはじめている。長い間いすわった雨雲が、このまま消えてしまいそうな空の色をしていた。梅雨が終わって夏が来るのかもしれない。空は再び昇ってくる太陽を待っていた。」

 新たな旅立ちを決意する「透」心の動きが綴られた最終章4ページ。夫の自殺に打ちひしがれる母を「透」が澄んだ瞳で見つめる姿が描かれる。心に深い悲しみを持ち、行き場を失った孤独な少年の成長の姿を描く。

大人になることの苦しみとは、こういうことなのかも。

 比喩の多さには少したじろぐだろうけれども、中学生、高校性には是非読んでほしいものです。当時、青春真っ只中だったお母さん、お父さん、もう一度、あの時の自分を思いおこし、目の前の我が子を見つめてみてはいかがでしょうか。