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ウイルス

 世界は今、未知のウイルスとの戦いを余儀無くされています。中国に始まった新型コロナウイルスは、瞬く間に全世界に広まろうとしています。中国の患者数や死者の数を見ると、それこそ恐怖を覚えずにはいられません。

人間を含めた生き物の歴史は、ウイルスとの戦いの歴史といっても過言ではありません。人間は、知識によって数々のウイルスに対抗し、克服してきました。他の生き物たちは、自らを変異させることなどで、対応して生き残りを賭けてきました。

生き物としては、非常に単純なウイルスに複雑な構造体の人間がこれほど苦しめられるのは、皮肉なことです。

過去の数々のウイルスに打ち勝ったように、このウイルスに打ち勝つ方法もまもなく見つけることができるでしょう。しかし、それも多くの犠牲者があってのことですから、研究者たちには、優れた英知を結集してもらいたいものです。

 困難な問題に対して、政治的な判断が後手にまわることについては、このウイルス問題ばかりではありません。政治家の目線が、国民目線ではないことも大きな理由だと思います。

「マスクやアルコール洗浄が必要です」と声はあげても、実際にはマスクやアルコール洗浄剤の品不足などに対する具体策はあまり見えてはきません。

学校を休校にすれば、問題解決になるわけでもありません。子どもたちは隔離された状態にあっても、家族全てがそうとは限りません。親たちも簡単に休暇を取れる環境にはありません。絶えず感染の危険のある満員電車通勤は変わらない状態ですし、自宅待機の子供たちの面倒を見ることができる家庭が全てとは限りません。

「それぞれの現場対応で」と述べる政治家の言葉には、その場しのぎの感を拭いきれません。時間がなかったという理屈はあるでしょうが、中国の状況を考えてみれば、もっと早い時期にこうした状況は容易に想像はできたはずです。豪華客船乗客への対応も同様ですが、平和な国に住む日本人の鈍い感覚が働いた結果とも言えます。

 危機は、新型コロナウイルスばかりとは限りませんが、我が身可愛さの日本の政治家たちの意識変革は到底無理なように思えてなりません。もう少し危機管理意識を持った政治をしてほしいものです。

 昔はクチコミが中心であった伝達方法が、現在のネット社会の中にあっては大きく変化しました。私たちは、その利便さを共有していますが、時には悪意に満ちたニュースによって、私たちの行動さえもコントロールされるようになってきました。

平静な状況の中にあっては、冷静な判断力も働きますが、混乱の度合いが増すとともにフェークなニュースさえも真実味をもってとらえてしまう危険性もあるのです。混乱な時だからこそ、冷静な判断力を保ちたいものです。