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巨悪

 ニュースは日々急激に変わっていきますから、つい先日のニュースが遠い昔のようにように思えてしまうのは至極当然なことなのかもしれませんし、それが凡人たる所以なのかも知れません。

 しかし、そうした状況の中、卑劣な悪事を働く輩の存在には憤りを覚えます。映画や物語のように、そうした悪人たちをたちどころに退治するヒーローが存在すれば、人々の気持ちもすっきりするのでしょうが、現実はそれとはほど遠いものです

 ところで、海外逃亡のゴーン被告は今後どのようにして身の潔白を証明しようというのでしょうか。彼はその逃亡理由を「日本の司法制度は、差別が蔓延し、人権が侵害され、国際法や条約が全くもって軽んじられていた。私は裁判から逃げたのではなく、不公平さと政治的迫害から逃れた」としています。

彼の逃亡劇は、まるで映画に登場するマフィアのボスのようにも思えてなりません。もちろん、彼の財力がそうした事を可能にしているのでしょうし、日本の検察の甘さを露呈した結果なのかも知れません。悪と金は切っても切れないものです。物事を金の力によって動かそうとする行為は、現代社会では断ち切ることが出来ない宿命なのかもしれません。

また、政治と金の問題も、いつの時代にあってもなくなる気配はありません。今もIR汚職問題や選挙活動規制法違反の問題など次々と政治にまつわる金の問題が登場しています。当事者からすれば双方の利害が一致するわけですが、法を犯すという行動や我々の税金を食い物にする行為に対しては、罰せられて当然なのです。しかし、なかなか一筋縄ではいかないところも現実なのです。

 法を守るべき人間も組織に属していますし、一方、組織は政治的な圧力を受けやすい立場でもありますし、組織人全てが清廉潔白な人間ばかりではないですから、力にへつらう者もいるわけで、「驕れる者久からず」というわけにもいかないのが現実なのです。

 写真は、伊兼源太郎著「巨悪」です。内容は、高校時代の野球部でダブルエースだった東京地検特捜部の検事「中澤源吾」と特捜部機動捜査班の事務官「城島毅」が、ある事件をきっかけに「検察」の道を選ぶ。その二人の前に立ちはだかる政治家や企業、秘密機関、そして「消えた2兆円」の真相に辿り着く過程で明らかになる現代の「巨悪」の正体を描くミステリー小説です。

小説とは思えないほどドキュメンタリータッチの物語です。検察という機関に対する犯罪の巧妙さ、政治との絡みなど、真に迫るタッチで描かれています。

時々テレビでも目にしますが、検察が容疑者宅や会社などで証拠品の押収に使用する大きなダンボール、我々は、その中身まではわかりませんが、この小説を読むことで、なの中身がどのようなものであるかを知ることになるでしょう。

 そういえば、韓国の歴代大統領の歴史を辿ると、不思議なほどの共通性を感じます。失脚し、自殺に追い込まれたり、罪を問われるという流れの中心は何なのでしょうか。

現在の大統領は、強い力を持つ検察の弱体化を計っていると聞きます。強い力を持つ政治に釘さすのは検察の力でしかありません。ある意味では、韓国には政治という力に対する抵抗力が、まだまだ根強く残っているのかも知れません。

対立関係にある日本と韓国、かたや、日本の検察にも「巨悪」に対する抵抗力を示してほしいものです。