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感動と落胆

 10月も終わり。いつもの事ですが、過ぎ行く日々の早さだけが記憶に残ります。

今月は大型台風の来襲もあり、多くの地域が被害を被りました。西日本で相次いだ災害が、今回は東日本に飛び火した感があります。

 自然災害については、私たちは打つ手を持ちませんが、その原因と言わる地球の温暖化や汚染を自ら犯している愚かな我々人間に対する自然の仕返しなのかも知れません。

人間社会は、ここ一世紀の間に経済的にも文化的にも急激に豊かになった反面、自然に対しては、我が物顔に振舞ってきました。温暖化や海洋汚染問題などは、自然に対する畏敬の念を忘れ、経済や便利さだけを追求した反動とも言えるでしょう。

一度手に入れた豊かさを簡単に手放すことは、そう簡単ではありませんし、頭の中ではわかっていても、それを実行に移すことの難しさは、常日頃の生活の中でも十分に理解しているはずです。しかし、失った自然を取り戻すことはできないかも知れません。

もちろん、地球の歴史も永遠ではありませんが、それ以上に人間の歴史が短いことも確かでしょう。せめて、人間の歴史を自らの手でさらに縮めたくはないものです。

 ラグビーのワールドカップは、多くの人に感動を与えました。それこそ、今まではラグビーというスポーツに無関係であった多くの人々にラグビーというスポーツの魅力を伝えたことも確かでしょう。

スポーツの魅力の中心は、感動と落胆という相反する心の動きでしょう。勝てば、多くの人はその感動に浸り、負ければ落胆を味わう、そのギャップではないでしょうか。

 まじかに迫った東京オリンピックも、さらにそうした感動と落胆を多くの人々に与えることは確かでしょう。

スポーツにおける落胆は、一瞬のうちに消え去ることも確かです。落胆した人々の生活まで大きく変えることはありません。

しかし、災害の被害者たちの落胆は、そう簡単に消えるとは思われません。ある者は、その生活を大きく変えなければなりません。また、その落胆は、一生心の中に残り続けることでしょう。

 消費税は上がりましたが、庶民にとっては、その使途さえも定かではありません。災害は止むことはありません。為政者たちには、再び同様な事態を少しでも軽減するようなその場しのぎではない十分な対策を施してほしいものです。