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万延元年のフットボール

 読み終わるのに二ヶ月あまり。元号が変わったのをきっかけに、遥か昔に読んだ記憶はあるが、はっきりと内容までは定かではない作品に再挑戦。

大江健三郎全集全15巻中の第7巻には、ノーベル賞受賞の理由となった代表作「万延元年のフットボール」と「洪水はわが魂に及び」が収められているが、ぎゅうぎゅう詰めの文字の羅列にしか見えないページ二段組、一作品200ページ以上の長編ですから、読んでも読んでも先は見えず、頓挫の繰り返しで、市の図書館には再借り出しのために二度も足を運んでしまった。

 一気読みができる状態でなかった理由は、遊び呆けていたわけではないのです。読み進めるほどにその文章の難解さに圧倒されて、睡魔が襲うという状態から抜け出す事が出来なかったからです。

作品の発表は、1967年。自分はちょうど大学生時代で、経済的には戦後の困難を乗り越えた時代でしたが、安保闘争のまっただ中で政治的には非常に不安定な時代でした。

そのあらすじについて、上手に述べることはできませんが、「重度の障害の子供の父親であり、親友を自殺で失った主人公根所蜜三郎は、60年安保闘争に挫折してしまう。折しも、渡米していた弟・鷹四が帰国する。傷心の蜜三郎は弟の誘いの応じ、自己の拠り所と再生を求めて、四国の山奥にある故郷に帰ることを決心する。蜜三郎と鷹四の曽祖父は地元の村の庄屋であり、その弟は万延元年の一揆の指導者もであった。

帰郷した彼らは、村にできたスーパーマーケットを目にする。その経営者の朝鮮人は、村人たちから『スーパーマーケットの天皇』と呼ばれていた。鷹四は、フットボールを通じて、村の若者たちを集める。若者たちも自分たちを万延元年の一揆に参加した若者たちに重ね合わせ、支配階級のスーパーマーケットを襲うことで、万延元年の一揆を再現しようとする。」

 万延元年は、60年安保の百年前。開国を迫られた日本は攘夷運動のさなか、権力者井伊直弼を惨殺し、新たな時代の先駆けとした。その百年後、日米安全保障条約の締結を迫るアメリカに対して、その従属関係に激しく抵抗した60年安保闘争、しかし、百年後のインテリたちの安保闘争は、むなしく機動隊に一掃されてしまった。そうした若者たちの自虐の物語とも言えるのかもしれない。 

 純文学作品特有の話の面白みを感じることはないが、「自殺」や「障害」「安保闘争」「民族」「インセント・タブー」など、複数のテーマを融合させている作品としてみると、その価値は十分なのかもしれない。しかし、ストーリー以上に、その語彙の難解さに苦しと同時に、おのれの語彙力の不足を再認識することになるかも知れない。

また、作品中のフットボールが、ラグビーを意味するのか、サッカーを意味するのかは、物語中では一切語られていない。それらは、鷹四が若者たちを引き付けるための材料であり、「闘争」を象徴するものなのかもしれない。どうぞ、一読を。