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記憶の大切さ

 記事は、9月11日の茨城新聞の記事ですが、ちょうどその4日前の日曜日、クラブ活動が休みなったということで、急遽、福島県まで足を延ばすことになりました。桃の季節もそろそろ終わりということで、桃狩り目的の遠出でしたが、残暑が厳しい一日でした。

行きは東北道で、帰りは福島市から相馬市にぬけて常磐道を上るというコースでしたが、福島原発事故後に常磐道を利用することは今回が初めてでした。

津波の直接被害を受けた海岸線を目にすることはありませんでしたが、高速道路の両側には、原発事故の二次被害とも言うべき汚染土の積み上げられた状況や、道路に設置された放射線計の示す値は、自分たちの地域に比べるとはるかに高いことを再認識しました。しかし、我々をも含めた多くの人が、こうした状況に対する意識をいつまで持ち続けることができるのか、意識の風化がいささか心配ですし、自然災害という理由づけで、その責任を取ろうとしない関係者の無責任ぶりにも多くの人が憤っていることは確かです。

見た目の風景は、以前の風景そのままのようですが、目に見えない恐怖に対する住民たちの声なき怒りをしみじみと感じとる一日となりました。

 新聞記事は、東海村の臨界事故をもとにした放射線の恐ろしさを説くものですが、治療現場の放射線利用にもそうした可能性があることを認識する必要がありそうです。

 人類の滅亡については、過去の恐竜たちの滅亡でも明白ですが、その原因は、隕石の衝突などではなく、核による滅亡になるかも知れません。

アインシュタインは「核連鎖反応の発見が人類の滅亡につながるわけではない。それはマッチの発明が人類の滅亡につながらないのと同じだ。」と述べていますが、アインシュタインらしからぬ言葉に思えてなりません。