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これでいいのか?

 第二次世界大戦を経験した世代がますます少なくなる状況の中、今の保護者や子どもたちを見ていると、戦争というものに対する知識がますます薄くなってしまっているように思えてなりません。

子供たちが使用する教科書にも、そうした記述はあるのですが、極端な話、子供たちにとっては、関ヶ原の戦いや南北戦争などとごちゃまぜに捉えるような状態になっているのではないでしょうか。

 日々のニュースで、北朝鮮や中近東の問題については、何となく知ってはいても、80年ほど前の戦争の歴史は、自分たちにはあまり関係のない、他山の石という現状なのではないでしょうか。

「歴史は繰り返す」という言葉があります。人間の歴史は、戦争の繰り返しですから、決して、安閑としてはいられないはずなのですが、今の日本では、そうした危機感が、あまり感じられないというのが、本当のところです。

 歴史学者はもちろん、知恵ある人々は、今の世界の状況を、決して、安定したものだとは捉えないでしょう。

しかし、人々の多くは、多少の不安は抱えてはいても、この平和な時代は、そう簡単には終わるはずはないと考えるでしょう。また、その根底には自分一人の力ではどうにもしようがないという諦めも影響しているのかもしれません。

 自分は、戦争を体験した世代ではありませんが、まだ戦争の傷跡が残る時代に生まれたということもあり、その知識は、単に教科書的な知識ばかりではなく、体験者の両親や周囲の影響もあり、常に戦争というものに対する恐怖感や危機感を抱いていたことは確かです。

 最近、戦争に関して、タブーとされるような発言をする政治家などが登場したことについては、単に、選挙のための「自己宣伝」ということだけでは済まされないような気がします。

過去のいずれの戦争も、狂信的な人々に導かれ、知らないうちに戦争の道を辿ってしまったことについては、歴史が証明しています。もちろん、そうした人々は、不安定な時代背景を巧みに利用して、人々を戦争へと導いていったのですが、今の日本の状況は、極端に不安定で不安な時代とは言えませんし、カリスマ的、狂信的な指導者が存在するようにも思われませんから、今すぐに大きな時代の変化が起きることはないでしょうが、変化は、知らないうちに、少しずつ、じわじわと身近に迫り、気づいた時には、すでに遅いということを忘れてはならないでしょう。

 戦争の話は極端にしても、平和な時代の裏返しなのでしょうか、政治家ばかりではなく、影響力のある人物の暴言や行動も目立っています。

そうした人たちの謝罪の様子などは、見ている者からすれば、陳腐にさえ思われるのですが、当事者からすれば、それで事が収まれば、万々歳という訳なのでしょう。もちろん、メデイアのあり方も問われるでしょうが、それを許してしまう我々の責任も重そうです。

深々とお辞儀をし、二度と起こらないよう十分な対策を施しますというようなマニュアル化された言葉、深刻な顔をし、長い時間頭を下げれば、それで事が済んでしまうというような社会の風潮を不安な時代到来の先駆けだと捉えるのは考えすぎでしょうか。