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台風

 今日は、9月末日。本当は、町内会主催の秋祭りの日でしたが、台風接近のために中止となってしまいました。

今年は、町内会の役員となってしまった関係上、この秋祭りの準備のために市役所に出向いたり、出店を依頼するための打ち合わせなど、結構大変なものでしたが、全てがおじゃんになってしまいました。

現在の外の様子は、雨も風もなく、嵐の前の静けさといった感じで、このままの状態が続けば、「やれたじゃないか」と苦情が出てきそうですが、実行すればしたで、もし天候が急変すれば、「中止にすべきだったのに何故?」という意見も上がることでしょう。

 祭りの準備について感じたことですが、申請書類や打ち合わせなど、諸々のことがこんなにも多いのかということでした。

役所なども、時代の変化に伴って、何か事が起これば、詰腹を切らされることが多くなりましたから、仕方ないことなのかもしれませんが、こうしたことが、お互いの仕事量を増やし、不満を増幅させる要因になっているようにも思われます。

 学校部活の活動時間の短縮についても同様だと思います。教員の多忙がその理由になっていますが、単に部活動をカットしただけで、一件落着とはいかないように思います。教員の多忙の要因は、部活動だけの問題ではないはずですが、そうしたことにはあまりメスを入れることなく、その矛先を部活動だけにむけるやり方にはいささかの抵抗感を覚えます。

 自由にものを言える事は、開かれた時代の証かもしれません。ただ、自己中心的、自分勝手な言動であってはならないはずなのですが、必ずしもそうした配慮がなされた物言いばかりではない場合が多いようです。

 今年は、町内会の役員という立場で感じたことですが、私の住む地域は新たに造成された地域です。従来の地域から移り住んだわけですが、生まれ育った従来の地域には自由に物を言う人は皆無でした。これは、その地域に住む人々が、それこそ、各家々の些細なことまで知り尽くしているために、遠慮や配慮が働き、自由にものを言うことをためらってしまうか結果だと思います。それに対して、移り住んだ地域は、極端ですが、隣の住人の家族構成も職業もわからない状況なのです。しかし、これが自由勝手にものを言える雰囲気を作り出しているのかもしれません。ものを自由に言えるという点では、プラス要素かもしれませんが、他に対する配慮を欠きやすいという点においては、明らかにマイナス要素と言えるでしょう。

 話は変わりますが、高齢化時代において、その住みやすさを考えると、不便さや干渉されることを好まなかったり、封建的なしきたりに拒否感を人は別ですが、従来の田舎生活の方が優っているのかもしれません。もちろん、生まれも育ちも大都会であった者は別にして、自分に限って言えば、若き日の田舎暮らしへの単なるノスタルジアなのかもしれません。