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運動部活動3

 新聞では、中学や高校の運動部活動に関しての記事に事欠きません。

目を通すのは茨城新聞の記事が中心で、全ての新聞に目を通しているわけではありませんから、すべてがそうであるとは断言はできません。

その論点については、少しうがった見方かもしれませんが、教育界のいろいろな問題の悪の根源は部活動にあるといった決めつけ方がなされているように思えてなりません。

もちろん、教員の仕事量の増加の問題やそれに伴う勤務時間の問題などに全く関係がないわけではないでしょうが、多くの記事では、部活以外の問題にはあまり触れていないように見えるのは、部活経験者としてのひがめでしょうか。

 6月11日の茨城新聞のコラムの中の締めの言葉として、校長経験者の言葉『楽しく取り組んで、帰ってくるのが一番だ』」とあります。これが元校長の本音なのでしょうか。このような人に限って、いろいろな集会などでは、部活動の活躍を礼賛し、さらなる健闘努力を鼓舞するようなことを述べたりするものです。

 今の世代では死語となったかもしれませんが、「必修クラブ」?????について述べたような言葉にしか思われません。

校長たる者、部活動のあり方や問題点について、素直に本音を述べてほしいと思うのは、自分だけでしょうか。もしかして、これはこの校長の本音だったのかもしれませんが。

 戦後の部活動は、現在同様な位置づけとしてスタートしましたが、ある時期、今問題となっているように学校教育活動から社会教育への移行が試みられたのですが、紆余曲折の結果、結局は学校教育活動下に位置づけられたという歴史もあるのです。

その理由としては、事故災害に対する補償や責任、熱心な教師の情熱を失わせること、また、指導者や施設の問題などがあり、結局は学校における教師と生徒による部活動に戻ることになったのです。

 今回の教育指導要領の改定にあたっては、配慮すべき事項として「生徒の自主的、自発的な参加により行われる部活動については、スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上や責任感が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすることと示されました。

その結果として、外部指導者の導入などが出てきたわけですが、学校の部活動、特に運動部活動を社会体育に移行するという、はっきりとした方向性が打ち出されたわけではありません。今回も一部の手直しのままで、うやむやになってしまう可能性は大きいと思われます。

 部活動に関する問題は、昭和43年に教育課程内のクラブ活動(必修クラブ)と課外で行われる希望者参加の部活動に区別されました。高校では、昭和45年の指導要領改定によって、必修クラブが「授業」に組み入れられることになったのです。

当初は、学校側のとらえ方も甘く、部活動をしている者にとっては、ある曜日には1時間早く部活動が開始できるというとらえ方だったのですが、昭和55年あたりから、本来の趣旨に沿う形に変化し「生徒は必ず何らかのクラブに属す」という形になったのです。

しかし、部=クラブではなく、クラブに関しては、一切のしがらみはないという形でもあったのです。それこそ多種多様なクラブが存在したのですが、単なる時間潰しといった色彩も強かったと思います。これは、週5日制開始(平成4年)以前ののどかな時代の出来事でもあったのですが、平成元年の教育課程において、多くの問題点を抱えていた授業としての必修クラブは、従来の課外の部活動に統一され、自然消滅となりました。

 週5日制になり、授業時間のやりくりが大変になった現在では、必修クラブの考え方は、はるか彼方に追いやられ、遠い存在になってしまいました。まず復活は考えにくいでしょうが、課外活動の部活動も危機的状況に追い込まれている現状では、部活動の休日を増やしたり、練習時間に制限を加えるだけで、抜本的な解決に導くことは到底無理でしょう。学校内の練習時間を制限したとしても、より向上を目指す者は、制限外の時間を社会体育で活動する者も多くなるでしょう。しかし、そうした時の対応策(事故や学校教育との関わり)もまだはっきり示されていません。

 全てが中途半端な改革よりも、部活は学校外の活動とはっきりと割り切った方向付けが必要な時期ではないでしょうか。しかし、それだけで教員の過重な労働時間が解決されるかといえば、決してそうではないでしょう。部活が、教員の過重労働時間の原因であるかのように決めつける考え方が、見当違いであったことに気づくのも、ある意味で良いことかもしれません。

 最後に、学校現場を離れて思うことなのですが、部活動に熱心でない教員ほど、時間の使い方が下手な者が多く、忙しさを部活動に理由付けしているように思えてなりません。そのような教員は、部活動がなくなったら、また、別なことに理由付けをすることは確かです。