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運動部活動

 茨城県教育委員会は5月31日に運動部活動の休養日や活動時間の目安などを示した運営指針を発表しました。スポーツ庁が示した指針に沿った内容で、休養日を中学校は週2日以上、高校は週1日以上とし、1日の活動時間を平日は中高平均2時間程度、休日は中学3時間、高校は4時間程度と定めました。また、本県独自の方針として、始業前の朝練習を原則禁止としています。

朝練中止の理由としては、生徒の睡眠時間や心身の疲労が解消できる時間の確保などが狙いで、放課後の限られた時間で活動していくことを目指すとしています。

夏休みなどの長期休暇中の活動も長期の休養期間を設けるということです。

こうした指針が出された大きな理由としては、前述した生徒の負担を軽減することが全面に出ていますが、その実態は教員の過重負担の軽減にあるのは確かです。

義務教育現場の教員の業務が、昔に比べてみると大変な負担になっていることは確かです。以前の生徒主体の部活動とは違って、部活動中は現場に張り付いていなければならない現状からすれば、その時間帯は事務処理などの他の業務はできないわけですから、当然そうした仕事は後回しにせざるを得ないという状態になっているのです。

こうした部活動の顧問張り付き問題は、生徒たちに「主体性」を持たせる教育を目指すと言いつつ、事故を恐れての対応が中心になってしまった結果であったことにも問題がありそうです。

もちろん、何かしらの問題が起これば、すぐに裁判沙汰になるという訴訟時代になっていますから、現場とすれば致し方ない対応なのですが、負担増の原因にもなっているのです。

 教員の負担の軽減を図るために、このような活動指針が示されたわけですが、なにかしらの疑問を感じざるを得ません。

教員の負担軽減にはつながることは確かですが、「子どもたちの負担の軽減」ということをその名目としている点については、大人たちの都合のいい理由付けに思われてなりません。

そもそも、部活動は、「学習指導要領」に記載され、教育の一環として位置付けられてはいますが、あくまで付加的な活動に過ぎず、教員の本来の業務とは言い難いものなのです。

しかし、自治体や学校によっては全生徒が入部を強制され、全教員が顧問に就任するように要請されているのも現状です。位置付けが不明確で、矛盾に矛盾を重ねながら指導と練習が行われ、教員にとっても生徒にとっても不明確な状態のまま活動は続けられてきたのです。まさしく教育の「ブラック」な一面でもあるのです。

しかし、日本では、保護者の経費の軽減の一番手っ取り早い方法ということもあり、長い間見過ごされてきたことも確かです。

 昨年から部活動指導員という外部指導者が顧問に就任できる制度が導入されましたが、一朝一夕に問題が解決されるようには思われません。看板は付け替えても練習場所は、学校のままでは、結局教員が指導する状況になるでしょう。

また、熱心な外部指導者に預けるとなれば、指針の内容から外れて、競技力を高めるために、今まで以上に練習時間が長時間化し、本来の部活動の意義を見失ってしまう危険もあります。

また、活動時間に制限を加えても週6日の活動を週5日に減らす程度では、効果があるとも思われません。今の半分程度に制限するならば、部活を積極的に展開したい教員と外部人材をうまく活用すれば、運営が上手くできる可能性はあるかもしれません。

 中学が半強制的に加入を勧めるには、進学のための調査書などにも何らかの影響があるために、付加的な活動であっても、部活動をするのが当たり前になっているのです。

もしそうした必要性がないとなれば、半ば強制的な部活動ということもなくなるかもしれません。

しかし、そうなることは、「知育」偏重の傾向をますます強めるということにもなってしまうマイナス面にもつながることになります。

  運動部の本来の目的が子どもたちの「体力向上」にあるならば、体育の授業を増やすことを議論するのも筋でしょう。道徳や英語の時間を増やすより効果があるかもしれません。最近の教育の傾向は、「知育」が優先され、「体育」が疎かにされる傾向にありますから、その結果として、体育の授業は減らされる傾向にあります。

 繰り返しますが、教員の過重労働の原因は、部活動もそうですが、本来の教育課程の労働が過密化していることも一つの要因です。また、生徒数の減少に伴い教員数が減らされた結果でもあるのです。

ですから教員数削減にも歯止めをすることなども考えなければ、抜本的な解決にはならないでしょう。

 部活動の教育的な意義は「生徒が自分たちで課題を解決すること」「目的や理念の一致した集団の一員として社会と接点を持つ力を養成し、将来的にスポーツを続けていく力を身につけさせる」ことであるとするならば、小手先の手段としてではなく、もっと学校教育と部活動の明確な位置付けが必要です。

何れにしても、今まで野放しにされてきた部活動問題がメデイアに取り上げられることは決してマイナスではありません。

相撲界から始まり、騒動の最中にあるのアメリカンフットボール問題などは、長い間ブラック化されてきた日本のスポーツ界の負の部分を表面化するとともに、浄化するためには良いことでしょう。

また、こうした問題が、中高の部活動の方向付けにも良いきっかけになれば、それはそれで結構なことです。