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混沌の時代

 高校受験の結果発表日を間近に控えて、今日は県内の中学の卒業式。

自信に満ち溢れた生徒もいれば、一方では不安いっぱいの生徒もいるそんな一日です。

 少子化の影響で、遠い昔に比べればずいぶんと楽になった高校受験ですが、より上を目指す者にとっては、今も昔もその厳しさにあまり変わりはないはずです。

受験に失敗すれば、浪人生活も覚悟しなければならなかった昔に比べれば、万が一の失敗に備えて、私立高校の押さえもしてある現在の受験生たちですから、高校浪人生活などは到底考えられない時代になったことも確かです。

 連日のようにメデイアを賑わしている現実社会の状況は、希望に満ちて、輝く未来を目指す若者たちに対して、欺瞞や傲慢さに満ちた社会を暗示しているように思えてなりません。民主主義とは名ばかりの現実社会を若者たちはどのようにとらえ、それにどう対応していくのでしょうか。

 安定しているかのように見える現実社会、実は混沌とした時代であるのかもしれません。フェークニュースにまみれ、グローバル経済の中で翻弄されて不安定な生活を送る私たちは、今まで以上に混沌とした社会に飲み込まれて生きていかなければならないのでしょうか。

科学の進歩は、私たちの生活を便利にしましたが、反面、ますます管理され、統治される、そんな時代になることも予測されます。

 朝日新聞3月13日の寄稿、「哲学に現代の不安を託す」を読みました。哲学書といえば、その文脈はもちろん、語彙さえも理解し難く、読みにくいというのが通り相場です。寄稿者の立命館大学准教授で哲学者の千葉雅也さんが、ドイツの若手哲学者マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』を取り上げ、混沌とした時代に生きる現代人が求めるもの、それは、科学でも宗教でもなく、哲学であり、哲学にこの時代の不安を託そうとしている結果の表れが、今見直されている理由であるのだと述べています。

確かに、不安な時代に生きる私たちは、何を頼り、何を行きどころにしたら良いのでしょうか。

なかなか簡単に理解することは困難かもしれませんが、時には小難しい書物に触れることも老化した脳細胞を活性化し、この世に存在する価値を見いだすために、少しは役立つかもしれません。