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アド街ック天国

 先日のテレビ番組『アド街ック天国』で高萩市が放送されたのがきっかけで、早速出かけてみることにしました。少し大げさですが、高萩市は自分の人生の出発点にもなった街でもあるのです。

 まさか県南育ちの自分が、はるか県北の高萩市に赴任するとは夢にも思っていませんでした。

赴任した高校は、工業高校でしたから、女子といえば、事務職員二人と養護教諭の三人のまさに男だけの世界でした。そして、野球部の顧問をしながらの4年間、今思えば懐かしい限りです。

 今回は、その学校にも足を伸ばすことにしました。校舎は昔の名残りを留めていましたが、少子化に伴う県立高校の再編によって廃校となり、現在は私立の通信制の高校と変わってしまいました。グラウンドの配置や周辺の情景なども、もう40数年も前のことですから、はっきりと記憶にはとどまってはいませんが、校舎から見えた巨大なパラボラアンテナは、今も昔の姿をとどめていました。あのケネデイ大統領の暗殺事件をいち早く伝えた通信衛星用のアンテナです。

 季節的には、紅葉の美しい時期でもありましたから、紅葉の美しさを楽しむこともできましたし、県の重要文化財に指定されている古民家を利用したレストランでの食事や高萩市ではありませんが、近くにはNHKの朝ドラの「ひよっこ」に登場したバス停の見学など、ゆったりと紅葉の秋を楽しむ一日となりました。

 四季のある日本は、四季それぞれに特徴がありますが、秋のイメージは「もの思う」季節でしょうか。紅葉の鮮やかさは、春の桜の鮮やかさとは少し異なるように思われます。春には目覚めゆくイメージ、秋には眠りにつくイメージ、そんな違いでしょうか。

 はるか昔の歌謡曲ですが、ファイファイセットの歌う「燃える秋」には、「燃える秋•・・ひとは別れ遠い旅に出る」とか、山口百恵の歌う「秋桜」は、嫁ぎゆく娘の母との別れが歌われています。 

秋は「終わり」や「別れ」のイメージが圧倒的に多く歌われています。「愛の終わり」や「男女の別れ」をテーマにするには、この季節がぴったりなのでしょう。

 古今集には「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」(人里離れた奥深い山で一面に敷きつめられた紅葉を踏み分けながら、恋しいと鳴く牡鹿の声を聞いているときは、秋の物悲しさがひとしお身にしみるものだ)と歌われています。

 秋もますます深まりました。秋の夜長をうまく利用する術を考えたいものです。