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忖度

  過日の茨城新聞「茨城春秋」に、「自分が新入社員だった時の研修の時、役員が自分には朝日新聞、一人に毎日新聞、一人に読売新聞のその日の号数を調べて来るように命じた。発行号数については、各紙とも一面の上の方に記されているものだが、自分を含めて3人は、それぞれ調べたものをメモして報告したが、その役員は、『では、茨城新聞は何号?』と訊ね返してきた。3人とも答えることはできなかった。」という記事がありました。

筆者は、「これは、言われたことだけやるのではなく、広い視野を持ち、気配り、目配りを忘れるなということだったのだろう。」と述懐しています。

 時代が変化し、与えられた課題もクリアーすることもできないよう人間が増える状況ですから、こうした課題を出されて、それをきちんとクリアーするような人材を見い出すことは、さらに難しい状況になっていることは確かです。

 混乱の続く政治の世界においては、行政官僚たちの答弁に対して、「忖度」という言葉が流行しました。おそらく、この言葉は、2017年の流行語大賞の第一候補であることは間違いありません。

茨城新聞の話も、新入社員3人が、命じた者の真意を「忖度」する余裕があればよかった、ということなのでしょう。

ただ、今年盛んに使われた「忖度」は、このような使われ方とは、だいぶ異なるように思われてなりません。

「忖度」の本来の意味は、「他人の気持ちをおしはかること、他人の気持ちを推察すること」(大辞林)とあります。決して、悪いイメージを持ったものではありません。

国会における行政官僚たちも弱い立場ですから、ついつい「忖度」したのでしょうが、その「忖度」の対象が自分にとって利害関係にある人間たちにばかり向いてしまって、多くの国民の気持ちを「忖度」することを忘れてしまった結果なのでしょう。

 最近思うことなのですが、言葉は、コミュニケーション手段として、たいへん便利なものですが、意思を正確に伝えるためばかりではなく、言い訳や欺くための手段としてもうまく利用されます。

「忖度」もそうですが、言葉の意味は多様ですから、それを巧みに使いこなされ、騙されてしまうという危険性もあるのです。

 最後に、言葉の使用については、コミニュケーション能力に未熟な子供たち対する自身への自戒としたいものです。