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部活動

 6月中旬の「茨城新聞」の記事の中に学校の部活動に関するコラムが載っていました。

「日本の学校の部は過度すぎる」など、日本の部活動や教育活動の善し悪しなどを述べたものです。

その趣旨は、多感な子どもの時間を一つのスポーツに費やすよりも多様な経験を積ませ、視野を広げさせる方が大切というものです。

 これは、漢字の矛盾に突っ込むネタで人気の米国人芸能人の主張を取り上げたものです。

こうした主張は、彼ばかりではなく、学校におけるスポーツ活動の取り組みが異なる欧米人に、当然のことのように言われることです。

彼ら欧米人にとっては、こうした日本人のスポーツに対する取り組み方は、まさしく異質なことなのでしょう。

しかし、こうした方式は、希望する者に対して平等なスポーツ環境を安上がりに提供できる日本式スポーツの優位性でもあるのです。

ただ、数多くの現場における指導者不足などの問題は、高度なエリート教育を施すためには必ずしもマッチせず、有料クラブ方式の欧米方式の方が優れているのかもしれません。

 我々が教員になった頃から、この違いについては叫ばれていましたが、それからだいぶの年数が経過した割には、あまり変わったようには思われません。しかし、高校における変化に比べ、義務教育における変化は、だいぶ大きいようです。

特に中学校では、その管理については、厳しく義務づけられたようです。教員は部活動時間中には、他の仕事に時間を割くわけにはいかなくなったようです。

 以前は、毎日の部活動が出来ることに生き甲斐を求め、教員としての道を求める者が相当数いましたし、必ずしもそうではない者においても、それほど部活動に対する抵抗もなくても、教員の道を求めることができました。

しかし、今の大学生に「部活動顧問は必然ですし、週末も夏休みも返上です。部活動中については、生徒の管理義務が必要です」と伝えたら、教員志望もぐんと減ったり、途中下車してしまうような者も多いのではないでしょうか。

生徒が家庭から出かけてスーパーで万引きしたら、「それは親の責任」と考えるのが常識だと思うのですが、担任や顧問が謝りに行くのが義務のようになってしまっている現実については、日本の教育界が抱える問題でもあり、教員の多忙化に拍車をかけている大きな原因ではないでしょうか。

 文科省も教員の多忙化についての対策として、部活動に休養日を設けることを柱とした対策をまとめたようですが、保護者と学校側の利害が必ずしも一致しないことや、過去にも同様な対策が施されてもうやむやになったことを考えると、果たしてどうなることでしょうか。