· 

恥の文化

 欧米の文化を「罪の文化」、それに対して日本の文化を「恥の文化」と称した人がいます。

はるか昔、戦争に勝ったアメリカが日本占領政策の方向性のもとにした「菊と刀」という書物に記されたものです。

宗教性の違いが、その違いになっているようですが、グローバル化した現代にあっては、こうした違いは少なくなったと思われますが、いろいろな不祥事の謝罪会見などを見ていると、まだまだ独特な日本文化を見ることができます。

 会見には何人かが横並びに並び、一同深々と頭を下げ、いかにも申し訳ないという態度を見せるのが一般的なのですが、時には涙をこぼしたり、土下座をしたり、髪を剃って坊主頭になったりして登場する場面さえあります。

事故があった際などには、自己の見解を堂々と述べたり、主張したりするのが欧米型なですが、そうした形を日本で貫こうとするのは、まだまだ一般的とは言えないようです。そのようにして、後に落ち度が発覚しようものなら、袋叩きにあうのは目に見えていますから、早々に頭を下げるが勝ちというわけなのです。

 今の子どもたちは、私たちの世代よりはずっと自己主張をすることの訓練はなされていますから、練習や試合後の評価などをすると、こちらの評価に対して堂々と反論、自己理論を展開してくる場合があります。

子どもたちにあっては、ごく自然なことなのでしょうが、私たちは、そんな子どもたちに対して、「聞く耳を持たない」とか「言い訳ばかり」などという評価を下しがちになるのは、ある意味、これは文化の変化がなされた結果と言えるのかもしれません。

もちろん、自分たち世代にあっても、そんな率直な言葉を吐くことは可能であったのですが、一瞬のうちに撲り飛ばされることを知っていましたから、ただただ頷くのが精一杯だったのです。

正論であるのか、屁理屈であるのかの判断もこれまた難しいところですから、聞く側の能力が一層問われる時代なのかも知れません。