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過ぎ行く日々

 日々の過ぎ行く早さを思い知らされる毎日であることは、何度も述べているとおりです。しかし、それで事が解決するわけではありませんが、心の奥底にたまった鬱憤の減少のためには、多少なりとも効果があればというわけです。

 過ぎ行く日々の早さだけが、鬱憤の原因ではなく、生活の諸々が原因しているのでしょうが、感覚的には過ぎ行く日々の早さに原因を求めてしまっているようです。

 過ぎ行く日々の早さに対して、目的への道のりの長さを思うのは、自分ばかりではないでしょうが、過ぎ行く時の流れに身を任せ、悠悠自適な生活を送る者もいるわけですから、すべてが自分同様であると断定するのは、これまた無理なことでしょう。

 子どもたちとのクラブ活動にあっては、とりわけ、無限の時間感覚の持ち主の子どもたちとの感覚のギャップを感じないわけにはいきません。

どこで時間感覚の帳尻を合わせれば良いのか、そこが問題というわけです。

長いスパンでの育成か、一気呵成の育成か、そんなことでもそれぞれの考え方が分かれるところですが、時間感覚に悩む今の自分にとっては、4月からのクラブ活動には大いに悩みそうです。