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昔話

 本格的な冬の様相です。

 北海道にあっても、この時期には珍しいほどの冬の嵐が吹き荒れ、新潟では2メートル近くの積雪というニュースが流れています。ここ最近には珍しいほどの荒れた状況の毎日と言えるでしょう。

 雪と言えば、スキーやスノーボードを思い浮かべますが、私もドップリとスキーにはまって、毎週のようにスキー場通いした昔を思い出します。

最初の赴任先が、福島との県境の高萩市でしたから、週末のスキー場通いには、格好な場所でもあったわけです。

折しも、日本は経済成長期にあり、それまでは一部の裕福な人たちのスポーツであったスキーが、一般の人たちにもブームとなりつつある時代でした。

近年は、雪国と言われるところでも、以前に比べると積雪がめっきり少なくなってしまいましたが、その頃の12月であれば、蔵王などは言うまでもなく、福島県の猪苗代などでも十分に滑降可能な積雪量でしたから、今回のニュースは、遠い昔を思い出す結果となりました。

 結婚記念の旅行は、フランスとイタリアのスキー場での半月ほどの滞在でした。

当時は、東西陣営の冷戦時代ということもあって、民間の航空機もソ連の領空を飛べない状況にありましたから、ヨーロッパに行くには、北極圏を飛ぶか、アジアを南下するコースのいずれかでした。

距離も長く、給油や乗り継ぎのために、30時間以上もかかるのが当たり前でしたから、ヨーロッパは遥かな地の果てだったわけです。

当時の日本の年末年始のスキー場は、芋を洗うような混雑でしたから、ゆったりとしたヨーロッパのスキー場でスキーをするということは、夢でもあり、憧れでもあったわけで、そうした長旅もあまり苦労ではなかったのです。

シャモニーの街やモンブラン、スイスのレマン湖、すべてが遠い昔の記憶となってしまいましたが、若き日の1ページであることは確かです。

 身長をはるかこえる長さが標準とされ、立ち上がり抜重とか、沈み込み抜重とか言った技術用語が流行した時代、スキー上達の早道とばかり、せっせとスキー教室に通ったことも思い出します。

当時の日本のスキー技術の方向は、冬のオリンピックの結果に大きく影響されていて、フランスが勝てばフランス式、オーストリアが勝てばオーストリア式のスキー技術が、日本のスキー技術に大きな影響を与えていたのです。猫の目のように、ころころ変わった当時のスキー技術も、今思えば懐かしい限りです。

10年ほど前に、久しぶりにスキーを履く機会がありましたが、技術的なものは忘れることはありませんでしたが、長さも短く、回転のしやすいスキーには、隔世の感を覚えたものでした。

 スキーに限らず、バドミントンに触れ始めた頃のラケットは、フレームは木製であり、変形防止のラケットプレスは必需品でしたし、シープ(羊の腸を用いたガット)や鯨筋のガットも市販されていた時代だったのです。ラケット材質もアルミからカーポンやチタンにと変化し、その軽量化も驚くばかりです。

 科学の進歩は、スポーツ用具を進化させ、その進化は技術の進歩や変化をうながすのでしょうが、それらがたどり着く終着点はあるのでしょうか。