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怖さ知らずの子どもたち

 益々寒さが増してきましたが、季節は気まぐれで、ポカポカ陽気が続いたり、急激に冷えこむ一日だったりと、きれいな下降線を描くような温度変化とはいかない毎日です。

日射しは同じでも、風がなくポカポカ陽気であったり、風が吹いてひじょうに寒かったり、一枚の写真として見れば同じように見えるかもしれませんが、実は甚だしく内容は異なっているのです。

 ポカポカ陽気の風もない環境では、心の中まで暖かく感じるものですが、寒風吹きすさぶ状況では、そうはいかないものです。あまりにも大雑把な言い方かも知れませんが、心の状況は写真のように平面的ではなく、周りの状況や雰囲気に影響を受けてしまうものなのです。

 毎日の子どもたちとの練習の中にあっても、しばしばそんな状況に陥った自分に気づくことがあります。勿論、そうした自分の心の状況を顔に出したり、言葉の調子に出てしまうことがないわけではありませんが、相手は小学生ですし、我々世代の特徴なのかも知れませんが、じっと、胸の奥というか、腹の中にというか、ため留めておくことが自然と多くなってしまうわけです。

しかし、煮え繰り返った腹の中や胸の内が、簡単にもとの状況に収まるわけはありませんから、少し大げさかも知れませんが、そのイライラ・ムカムカは、あるいは、寿命にも影響を及ぼしているかもしれません。

表情には出さないようにしていますが、多少は普段と異なるところがあるはずなのですが、大半の子どもたちは、気付くことはありません。たまには敏感な子どもがいて、そうした微妙な変化に反応を示したりするのには、ある意味、こちらとしては、ホッとした気分になるものです。

 昔は、感情にまかせて大声を発したり、手や足がとっさに反応するということが多かったのですが、当時の子どもたちは、自分の発した無礼な言動に対して、すぐに手や足が出てくるという状況が分かっていましたから、相手の反応に対しては、ある程度の注意力を払っていたものです。

 時代が変わり、ものを自由に言える時代になりましたし、痛い思いをすることも無くなりましたから、自分の言動に注意を払うなどということがあまりなくなってしまったのは、残念なことです。

結果として、相手に配慮した言動よりも、自己中心的な言動が多くなってしまったようです。昔の暴力的な教育を肯定することではありませんが、「相手の背中を見て、相手の思いを感じとれ」などということを言っても、一笑に付されてしまうような時代になってしまったはことは、残念というよりは、あまりにも悲しいことです・・・。