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学校部活動あれこれ

 中学校の部活動を見る機会を得たことで、活動環境の現状をしみじみと思い知らされました。

言葉は悪いかもしれませんが、活動時間が日没時間に左右されてしまう状況は、まるで原始時代に戻ったのかといった感じさえしてしまいます。

これからの季節は、日没時間がますます早まりますから、練習時間は無きに等しい状態なのです。どこの現場も同様の状態ですから、見た目には、公平、平等に見えますが、本当にこれでいいのかと考えてしまいます。

 部活動に日没時間制限がなされるようになったのは、いつ頃からなのか定かではありませんが、本当に驚きです。

電気料金の問題もあるのかもしれませんし、世の中が物騒になったこともその大きな理由なのでしょう。教育現場としては、このような対応が一番無難であることも確かなのでしょう。

部活動を担当する者も、大昔であればいざ知らず、我が身の危険を承知の上で、上司の命令に背いて勝手な行動をとるような者はいないでしょうから、このような状況に落ち着いたのも至極当然なことだったと思われます。

 日本の教育界には、何かしらの打開策を打ち出して欲しいと願うところですが、このような状況が作り出された原因は、突出することを嫌い、横並び方式を好む現場、何かと注文を付けたがる保護者が多くなった結果の妥協の産物なのかもしれません。

 こうした時代にあっても、より向上を目指そうとする強豪校は、学校現場だけでの活動では不可能なわけで、当然、他に拠り所を求めるということになります。

結果として、恵まれた環境を得られた者は、ますます向上し、そうでない者は、ますます弱体化の傾向に陥るというわけです。

表面的には平等そうに見えますが、裏側での競争がより厳しい不平等な時代になったとも言えます。これは、必ずしもスポーツに限ったことではないのでしょうが・・・。

 昔は、本格的に活動を開始するのは、種目を問わず、中学からというのが一般的でした。とりわけ、バドミントン競技については、部活動が存在する中学校が少なかったということもあり、高校からのスタートということが多かったわけです。

バドミントンに関わり始めた昭和48年頃の茨城県の高校では、女子部については、ある程度の存在はありましたが、男子においては、わずかに6,7校であったように記憶しています。もちろん、小学生チームなどの存在は皆無に近かったわけです。

幸いなことに、当時の茨城県は国体の開催を間近に控え、その強化が進められた結果として、バドミントン人口の増加にも良い結果をもたらすと同時に、筑波大学の茨城移転も茨城県のバドミントン普及にとっては、大きな影響を与えたと思います。

 バドミントンに限ったことではないのですが、小学生段階から、競技志向のクラブ組織が一般化した結果、中学校、高校からの活動開始では遅きに失するという傾向が強まったことも確かです。

前述しましたが、学校現場における活動時間は、年々、短縮傾向にある一方で、低年齢層の活動の活発化という、逆転現象は、当然のことと言えば当然のことなのですが、さらなる競技力向上はかるためには、何とも歯痒い現象と言わざるを得ません。

 以前は、中学、高校においても、今では考えられないほどの長い活動時間の確保が出来たわけで、たとえ高校からのスタートであろうと、トータルでは、十分な確保ができたわけです。

今後は、現在のように、小学生段階で仕上げる形をとるのか、スタートは少し遅いが、身体の成長に合わせた仕上げる方式をとるのか、意見の分かれるところでしょうが、中学校段階での時間確保の難しさを考えると、さらに早期育成の方向に進むのは必然でしょう。

 学校スポーツの中で競技力の向上をはかるという日本独特な形は、安上がりでもあり、効果的だったのでしょうが、学校現場の大きな負担と活動時間の変化を考えると、以前には考えられなかった、完全な欧米方式への転換も避けては通れないのかもしれません。