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伝統と慣習

   夏の甲子園で優勝した大阪桐蔭の西谷監督の新聞記事を目にする機会を得ました。

1993年のコーチ就任後、上級生のユニホームの洗濯などの雑用を下級生に課す習慣をあらためさせたという。その理由は、「下級生の練習時間を確保して力をつけさせないと、全国レベルの強豪には勝てない」との考えからだそうだ。20年前といえば、指導に対する流れが大きく変わる時代でもあったのですが、運動部においては、上級生に対する絶対的な服従という慣習が、どの部においても当然であり、とりわけ、野球部にはそうした色彩が強く残っていた時代であったはずです。今でこそ陰を潜めましたが、鉄拳指導も続いていた時代でもありました。今でも慣習を伝統という言葉に置き換え、その内容まで美化してしまうような傾向がありますから、指導者として注意しなければならないことかもしれません。

 簡単な記事ですから、その詳細のほどは分かりませんが、物事全てにおいて、平等、対等ということではなかったでしょうが、画期的であったことは確かでしょう。

 小学生のクラブ活動などでは、平等主義教育がまかり通っている結果なのかもしれませんが、言葉遣いや対人対応などにおいて、平等や対等の意味を混同している傾向が強いですから、改めてその指導を考えなければならないという問題を抱えています。

 教育現場も「危うきに近寄らず」の意識が強いですから、ますます助長される傾向にあることは、憂慮すべき問題です。