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氷の世界

 自分で歌うのは大嫌いですが、聞くということは、大好きです。しかし、今の自分には、年の流れに逆行しながら、常に20代の若者と同じものをという訳にはいきません。その多くの曲は、青春時代の脳裏に焼き付いたものが、中心を占めると言ってもいいでしょう。

 幼い頃、親父が東海林太郎(しょうじたろう)のレコードを聴いている姿をみて、しみじみと異世代の感覚を味わったものですが、我が子が今の自分の状況を見れば同じような感覚を味わうことになるでしょう。時代とともに変化することなく、特定の時間の記憶が後々の感覚を強く支配してしまうのは、人間の脳内細胞のなせる業なのか、あるいは、単なる老化現象なのでしょうか。

 自分の20代当時は、レコード盤を買うか、ラジオから流れる曲をカセットテープに録音して、それを聞くという形態が一般的でした。

取り立ててどの歌手に限って、ということはありませんでしたが、山口百恵を始めとした人気歌手たちの曲は、その中の一つであったとことは確かです。

また、当時の女子高校生に人気のあったグループ「アリス」のアルバムを、わざわざ生徒から借りたことなど、今も記憶に残っています。

 当時の歌手たちも、豊かだった髪も想像できないほどに変わり果ててしまいましたが、曲を耳にするごとに、若かりし頃の彼らの華やかな姿がまざまざと思い出されます。

今は、映像の時代でもありますから、彼らの若かりし頃の映像が流れるのを見たりすると、そのギャップに改めて驚くとともに、思わず自分自身の姿をもオーバーラップしてしまいます。

 12月28日、NHKBSで、大ヒットしたレコードアルバム「氷の世界」の発売からちょうど40年を記念した、井上陽水のドキュメンタリー番組が放映されました。アルバム制作にまつわる出来事をも特集したものでした。

自分は音楽も科学も全く苦手ですから、過日放送された、宇宙の起源の解明を求める数式を追う物理学者たち姿を描いた「神の数式」同様、細かな専門的な部分については分かりにくい面はありましたが、夢を追い求める人々の姿には、引き込まれるものがありました。いろいろ問題も抱えていますが、さすがに我らが公共放送NHKさんの面目躍如といったところでしょうか。

 アイドル歌手たちとは対照的な彼らの曲を聴くようになったのは、大ヒットした当時ではなく、だいぶ遅れてからであったように思います。

小椋圭や松山千春も同世代に台頭した歌手たちですが、彼らがテレビにはあまり出演しなかったという事情もその理由だったのかもしれません。

彼らが多くのアルバムの売り上げを記録した背景には、日和見的ではない、ひたすら熱心に信奉する多くのファンたちの存在があったからでしょう。

 話は変わりますが、松山千春の弁によると、「井上陽水の歌詞はちんぷんかんぷん」と言っていますが、曲に乗せられたものを聞く分には、あまり気にはなりませんが、文脈的には、いささか前衛的とも言えるでしょう。

歌詞は、文章ではありませんし、感情を揺り動かすことができれば、脈絡はどうでもという一面もありますから、その善し悪しは個人個人の判断で、ということになるでしょう。

 井上陽水の歌詞が、前衛的なものであるならば、小椋圭の作品は抒情的、松山千春は叙事的と言うことができるかも知れません。いずれにしても、それぞれの作品には、彼らの生きた時代が強く反映していることも確かでしょう。60年代に吹き荒れた学生運動も鳴りを潜め、石油ショックを契機として、高度成長にも陰りが見えた社会の中で、方向性を見失いかけた若者たちの拠り所になったのかも知れません。決して楽天的ではない、むしろ、沈鬱にさえ思えるような響きが、これらの曲の共通性ですが、それが若者の共感を呼んだのかも知れません。

 時には、それぞれの歌詞をじっくりと聞き比べてみるのも面白いかも知れません。

また、一人静かに一杯のコーヒーを啜りながら聞くのが、ベストテーストなのかも知れません。